Archive for 12月, 2009
『マイマイ新子と千年の魔法』は奇跡そのものじゃないか

新宿ピカデリーにて『マイマイ新子と千年の魔法』を見た。素晴らしかった。本当に素晴らしかった。これはなんというか、存在すること自体が奇跡のような、そんな映画だ。何が奇跡なのかを一言で言えば、この映画が「物語のイロハを完全に無視した映画である」ことだ。いや、違うな。「物語のイロハを完全に無視したところで作られながら、観るものの心に極めて深い感動を与える」ところに、この映画の素晴らしさがある。以下ネタバレなしで感想を。
「物語のイロハ」とは何か。簡単に言えば、それは「登場人物が何かを乗り越える」ことに他ならない。
例えばよくあるアクション映画なんかは、「絶体絶命の危機に陥った主人公が、その危機を乗り越える」という構造で作られている。
まず、小さな危機5つ、中くらいの危機2つ、大きな危機1つを作っておいて、それをタイムスケジュール上に配置する。そして「愛する人のために危機を乗り越える」とか「人類のために危機を乗り越える」とか、まあこの辺は何でもいいんだけれど、そういう動機を主人公に持たせて危機を乗り越えさせるように仕向ける。観客はそれを観て、危機を乗り越えるために奮闘する主人公の姿に感動したり興奮したりするのだ。これが「物語のイロハ」であって、ほとんどの小説/映画/漫画はこういうエピソードをを組み合わせたりひねったりして作られる。
『マイマイ新子と千年の魔法』は、そういう脚本の定石から言えば、まるで異端な作品に見える。まず、主人公たちに大きな危機など訪れない。いや、クライマックスではそれなりに深刻な事態が訪れるものの、主人公たちはそれを乗り越えるために奮闘したりしないし、むしろ奮闘するような展開を意図的に避けている様子すら見て取れる(「明日みんなで笑おうや!」という、まさに全員で奮闘しよう! という下りが、突発的に発生するとある事象で反故にされる展開なんかはまさにそれだ)。
この物語は「物語のイロハ」に則った、ツイストの利いた攻防など描かない。幾らでも転がせそうな魅力的なエピソードや素材がそこかしこにちりばめられているのだが、それらが有機的に結合してダイナミズム溢れる展開を生んだりもしない。そこに描かれる光景は、山口県の周防という田舎に住む新子という少女と、東京から転向してきた貴伊子を巡る、面白くもおかしくもない日常と、彼女らが見る空想の世界だ。グダグダのまま終わってしまうエピソードもあり、この脚本を映画学校の脚本コースの卒論に提出したら落第を食らってしまうかもしれない。
だが、『マイマイ新子と千年の魔法』は最終的に、机上の論理に則って作られた加工品としての枠を大きく逸脱したところで、観客の胸に深い感動と余韻を残す。常識的に考えるなら、本当はこんなダイナミズムのない物語で心を動かされたりはしないはずなのだ。だが、私はこの映画を観て大いに感動したし、観終わって何時間も経過した今ですら『マイマイ新子』について真剣に考えている。
なぜ私はこの映画にこれほど感動したのか。無理やり結論をひねり出すと、これはもう要するに「新子と貴伊子の二人が見たもの、体験したことが、純度100%混じりっけのない真実だったから」としか言えないと思うのだ。もう全部本当のことなんです。この映画は感動を生むために作られたわけではなく、何かのメッセージを伝えるために加工された物語でもなく、どこかの世界のどこかの時代のどこかの場所に確かに存在した「何か」を描き出す、そう、ただ描き出すためだけに作られた映画なのだ。
例えば新子が最後に夜の街へ出かけることになるキッカケのエピソード。このエピソードはそこに至るまで伏線も何も張られておらず、非常に唐突に訪れる。「物語のイロハ」的に処理をするならば、伏線を一本張っておくぐらいは簡単なことだ。だが、それは行われていない。なぜかというと、これは「本当のこと」であって、「それを描き出した」からであって、もっと言えば「物語」ではないからだ。現実に伏線など存在しないからだ。
そしてこの映画の凄いところは「物語のイロハ」を徹頭徹尾無視しながら、それでいて「新子と貴伊子にだけ見える、千年前の世界」という絵空事も平行して描いているところにある。この映画の根底に流れる思想は「どこまでも現実的であること」なのに、その上に立っている建造物は空想上の世界なのだ。これはお話として物凄く倒錯しているし、ある種パラノイア的でもあるのだけれども、だからこそ空想上の存在である「千年前の世界」を観客は現実の一部として感じられ、新子と貴伊子というフィルターを通して、「子供のころにしか見えなかった何か」を我がこととして体験し、感じることが出来るのだと思う。「物語のイロハを超えたところで生まれる感動」の正体はこれではないか。
通常このようなことをやろうとすると、自己満足的なわけの判らない映画になってしまいがちなのだが、この映画は見事にこの困難を成し遂げ、一本の作品として極めて充実した出来ばえになっている。この無理難題、矛盾の塊を無理やり成立させているものがなんなのか。映像の美しさなのか、登場人物の魅力なのか、なんなのか、それはよく判らない。判らないが、なんというか、こういう映画が存在すること自体に私は深い感動を覚えてしまう。小賢しい計算を超えたところで生まれる「物語の力」「映画の力」、そう呼ぶしかない無形の何かを、この映画は強く持っている。だから、この映画が存在することは、とても美しい奇跡なのだと思うのである。
なんにせよ本作は私にとってちょっと稀有な物語体験を与えてくれた。この映画に出会えたことは、本当に素晴らしい出会いでした。この映画を教えていただいたペンクロフさんに心より感謝。
もうちょっと突っ込んだネタバレ感想は、いずれ考えがまとまったら書きたいです。もう一度観ようかな。。。