フリーランスシステムエンジニアの日常

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Archive for 1月, 2010

「Dynamite!!」雑感

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今年の大晦日はTBSの格闘技番組「Dynamite!!」を見て過ごしました。何試合か心に残った試合があるので、その感想を。

■吉田秀彦vs石井慧
isiiこの試合については、マネジメントやプロモートに失敗しちゃったかなという気がした。

そもそもの話として、柔道家の総合格闘技初戦というのはこんな感じなんですよね。打撃に対応しきれず、中途半端な受け攻めに陥ってグダグダという。戦闘竜にボコられつつも勝った滝本誠や、桜庭にタコ殴りにされたキム・ドンシク、どの試合がガチ初戦なのか判らないけれど最後までどこかぎこちなかった小川直也など……。

吉田や秋山のように初期から白星を重ねて来た選手であっても、階級が全然違う選手や、寝技の出来ない打撃系選手(極端なのになるとボクサーとか)相手に勝利することが多かった、悪く言えばマッチメイクの段階でプロテクトされていたわけで、試合をこなすごとにどんどん強い選手になっていったわけだ。

この試合がマネジメントのミスと書いたのは、いきなり吉田秀彦という穴のない選手――柔道をベースに打撃やスタレスを覚えて行くという総合格闘家の「王道」のひとつを歩んで来た選手を石井選手に当ててしまったことで、顔見せの花相撲にするならば、K-1選手(マイティ・モーとか)か穴の大きい大味な選手(ボブ・サップとかジャイアント・シルバとか)に当てておけばよかったのになと感じた。まあもともと戦極で組まれていたマッチメイクだったので、そういう選手は呼びたくても呼べなかったと思うけれど。

とはいえ、これは結果論であって、プロモーターが非難されるべきだとは全く思わない。金メダリスト対決と言う判りやすい構図は世間に対する訴求力があるし、吉田秀彦についても身体能力的・モチベーション的に全盛期よりも劣化しているし、穴のない選手であるけれど石井の素材なら乗り越えられるんじゃないかという判断は、それほど間違ったものではないと思う。

また、我々観客側にも、過去柔道家の総合デビュー戦がいかにグダグダかを嫌と言うほど見てきたにもかかわらず、昨年金メダルを取ったばかりの選手が総合に出てくるなどと言う経験は初めて(?)だったわけで、そんな選手ならば吉田と言えど完封して勝ってしまうのではないかと言う幻想があったことは否定できない。石井慧という人はそれだけの逸材なわけです。

そういうプロモーター側の判断、我々の幻想という重荷を背負うには、石井はやっぱりまだ若く青かったんだよな。これは石井選手が悪いと言うことではなく、もう仕方のない話だと思う。達成困難な課題を与えてしまったのはプロモーターであり、我々であるからだ。誰が悪いと言う話ではなく、ファンタジーが消滅し、味気のない「現実」がリングの上で繰り広げられる、こういうしょっぱさも総合格闘技の姿のひとつではあるのだ。

柔道出身の選手は大体強くなるので、石井選手も今後UFCのヘビー級でチャンピオンを取れるぐらいになってほしいですね。応援してます。

■藤田和之vsアリスター・オーフレイム
藤田和之須藤元気が「(アリスターの身体は)ホント凄いですねえ。オーガニックフードだけでこんなにはなりませんね」とか言ってて、それって要は「ステロイド打ちまくってますね」ってことだろとテレビの前でひっくり返ったのだが、やっぱりステロイドモンスターと生身の人間(それも日本人)の試合は危険すぎるので組まないほうがよいと思います、ほんと。

桜庭和志選手がPRIDEで階級上のステモン(ヴァンダレイ・シウバ。ヒカルド・アローナも怪しい)と激闘をさせられてパンチドランカーみたいになっちゃった過程や、いつぞやの吉田秀彦vsジェームス・トンプソンのように、ステや興奮剤をドカドカ打ってる外人とナチュラルな日本人との試合では何度も生命の危険を感じるようなシーンを見させられているわけで、またこんなことが繰り返されたのかという感じ。怒りを禁じえない。藤田選手のご無事を祈っています。

しかし日本の格闘技界はなぜこれほどステロイドに寛容、悪く言えばだらしないのか。薬物に厳格なUFCやストライクフォース辺りとの差別化因子にしているとか、単なる慣習でこうなっているとかだったら、ちょっとナチュラルな選手が不憫過ぎると思うんだけどな。

■魔裟斗vsアンディ・サワー
私はあんまり魔裟斗のいい観衆ではなかったのだけれど、それでも00年代の格闘技界を牽引したスーパースターの引退試合ということで、それなりにウェットな気分で観戦を始めた。が、試合を見るにつれ「何で自分は魔裟斗にこれほどノレなかったのか」という問題が心の中に芽生え始め、終わりの頃にはそのことを主に考えていたのでなんだか複雑な読後感になってしまった。

ひとつ結論を出すと、それは多分魔裟斗が観客に「上澄み」の部分だけを提供して、その下にあるドロドロとした何かを徹頭徹尾見せようとしなかったことにあると思う。どういうことか。

「ビッグマウスだが凄く強い若者」「遊び人に見えて超ストイックな格闘技選手」「最後まで戦い抜く」「K-1MAXで絶対に優勝したい」「余力を残して引退したい」。魔裟斗が観客に提供し続けてきたパブリック・イメージと言うのはこの辺りだろう。努力や上昇志向、闘志に夢、これらはメチャクチャ格好いいイメージだし、実際にそれを体現しきったと言う点で魔裟斗は本当に凄い格闘家だと思う。

だけれども私は底意地の悪い観客なので、魔裟斗が提供しようとしたこれらの「上澄み」の下にあるものに目を向けてしまう。

それは例えば、かつてボクサー相手の試合で足を蹴りまくって危なげなく勝った試合であったり、山本KID戦で追い詰められたと見るや金的一発をかまして形勢を逆転したことであったり(偶発的な事故だったと思うが、結果論的に)、2004年か2005年のK-1MAX決勝のブアカーオ戦での偏向判定(プロモータのプロテクトぶり)であったりだ。

今回のアンディ・サワー戦は完勝だったし、本当に素晴らしい大団円だったと思うのだが、第5ラウンドでクリンチを駆使しまくって判定勝利をもぎ取ったり、準備期間をタップリ取ってる魔裟斗に比べサワーは10月26日に連戦したばっかりやんというそもそもの試合の妥当性の問題だったり、そういう、大団円という「上澄み」の物語の下にあるものに目が行ってしまう。

何も私は完全公平な土壌で勝負をやって勝てといいたいわけではない。きっちりKO勝利しろよということでもない。そういう清濁や奇遇、さまざまな要素が絡み合った末にリング上で雌雄を決するのが格闘技のダイナミズムだと判ってはいるし、思ってもいる。だが、こと魔裟斗の試合に関してはそういう清濁が漂白されていると言うか、観客の感情として「努力する天才、スーパーヒーロー魔裟斗が想像を絶する辛苦の果てに栄光をもぎ取った」的なストーリーに寄り添わなければ楽しめないような構造になっているような気がして、それに乗れなかったんだと思う。

で、その構造に乗れなかった理由としては、やっぱり「英雄を演じきる」ことに対して、魔裟斗およびプロモータの意識が低かったからと言わざるを得ないんだよな。ガチンコの世界で「英雄を演じきる」なんてことは、ほとんど不可能に近いですよ。それは判ってる。でも、それを提供しようとするならば、サワー相手にはクリンチなんかせずに徹頭徹尾倒しに行くべきだったし、準備期間が全然違う相手と試合をするようなことをせずに今年も堂々とトーナメントに出て優勝を掻っ攫うべきだったんだと思う。何というか、この試合や今までの軌跡をもって「スーパーヒーローの勇退」としてしまう、その意識の低さにはやっぱり夢中になれないんです。普通に強い選手が普通に戦って普通に辞めていく、魔裟斗の引退というのは私にとってはそれだけの話であって、そこに積極的に美しい物語をかぶせてもやっぱり乗れないんです。

自分でもメチャクチャ言ってるのは自覚しているし、そもそもこんなヨタ話は私の何十倍も努力しているであろう魔裟斗選手、および彼の物語に酔った大多数の観客にとってはほとんど言いがかりや侮辱に近いだろうから、まあこういう見方もあるのですよということでご容赦ください。何度も言いますが魔裟斗選手自体は本当に凄い格闘家だし、人間的にも立派な方だと思いますので。

印象に残ったのはこの三試合くらい。勝負論的に見所の合った戦極vsDreamは、戦極ってDreamに出れない人が出るところだと思っていたので実力が拮抗していて驚いたとか、青木はあれでいいのかもとか、川尻カットされて可哀想とか、アリスターがDream軍って卑怯だろとか色々思いましたがあんまり世間には届かなかったんじゃないかなという気がしている。全体的には格オタ的視点からも、お祭り的視点からも楽しめる、イッツァ谷川貞治だなと言えるものだったかなと。年末のニッポンを彩る立派な興行だったと思います。

Written by viennahorn

1月 1st, 2010 at 9:31 pm

『崖の上のポニョ』感想

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崖の上のポニョ今更ながら『崖の上のポニョ』を見たので、その感想を。ネタバレ全開ですのでご注意ください。

悪く言えば支離滅裂でムチャクチャ、よく言えばこれは新しい形のストーリーテリングなのかなと思った。どういうことか。

『崖の上のポニョ』というのは、プロットだけを取り上げれば凄くシンプルな話だ。要するに「人間ではない何かの少女が、人間の少年に恋をする。がそれは禁断の恋で、その恋を成就させようとすると宇宙の法則が乱れて世界が滅びてしまう。二人が結ばれるには、少女は己の力(魔法)を捨てて人間になり、少年はそんな少女を丸ごと受け入れなければならない。かくて少年は少女を受け入れ、二人は結ばれるのであった」。こういうお話自体はよく書かれ・読まれてきたし、大変理解しやすいお話であると思う。

しかし、『崖の上のポニョ』という映画の読後感は、そんな予定調和的なカタルシスとは全く無縁だ。「訳が判らない」とか「宮さんは狂っちゃったの?」とか思う人が続出したであろうことは想像に難くない。これは何故なのか。それはひとえに、肉付けの部分であるディティールや演出が滅茶苦茶であるからだ。

滅茶苦茶な点はあげつらうと数え切れないのだが、例えばこういう点だ。

  • そもそもポニョ、及びポニョの両親は何なのか。
  • なぜポニョと人間が結ばれると、宇宙の法則が乱れるのか。
  • 何故ポニョは宗佑のことを好きになるのか。
  • 宗佑がポニョを見て「あ、金魚だ」はおかしいだろ……。
  • 宗佑の母親はなぜ大洪水の中、無理やり家に帰ろうとしたのか。
  • そもそも父親が死んでるかもしれないのに、宗佑とリサは淡々としすぎではないか。
  • 老人たちが走り回れるようになる描写に、何の感動もない演出。
  • 何千人もの人死にが出たであろう大災害の後にもかかわらず、人々に悲壮感がないのは何故か。
  • それどころか、月が落っこちて地球が滅亡しそうになっているのに、切迫感が全くない。
  • 最後の竜宮城みたいな奴は何なのか。
  • etcetc……

これらを考えるに、『崖の上のポニョ』で説明されていないことは大まかに言って以下の二つだ。

  1. 登場人物たちの行動原理
  2. 世界観や舞台背景のディティール

これらは物語が物語である要素、ストーリーを構成する根幹であるにも関わらず、この作品におけるこれらの扱いは非常にいい加減であり、ほとんど行き当たりバッタリにお話が展開されるので、観客は全くついていけない。これが『ポニョ』の印象を極めて難解なものにしている原因だろう。

で、私はこの映画自体の解釈よりも、何故宮崎駿がこういうものを撮って世に送り出したのか、そのことのほうが興味深い。前作『ハウルの動く城』も上記のような物語の部分が壊滅していた作品だったので、確信犯的に撮っているか、もうボケちゃっているかのどっちかなのだろう。

そして確信犯的に撮っているのだとしたら、宮崎駿は新しいストーリーテリングの形、新しい映画の形を模索しているのではないかと思う。『ルパン三世カリオストロの城』や『天空の城ラピュタ』のように、登場人物の行動原理に胸を熱くし、スクリーンの端っこにいたるまで構築されつくされた世界観に酔うようなエンタテインメントではない、新しい映画の形だ。

それはどういう映画か。一応プロットは存在するが、登場人物が何故そういう行動をとっているのか、そもそもどういう人物なのかはよく判らない。ファンタジーの要素は登場するが、それらがどういう世界観なのか、何をするもので何のためにあるかは一切説明されない。

それは精製され磨き上げられたエンタテインメントというよりも、我々が生きる現実をそのまま抽出したようなものなのかもしれない。我々が生きる世界では、人々の行動原理なんかは一言では説明できない。理性的な人が次の瞬間とんでもない行動に出ることだって、往々にしてある。我々が住んでいる世界についてだって、100%論理的に説明出来る事柄がどれほどあるだろうか。

いや、「現実をそのまま抽出する」だけでは言葉足らずかな。もっと正確に言えば「宮崎駿の脳内にある、どこかの世界をそのまま抽出した」作品が、この『崖の上のポニョ』なのだろう。その世界では大災害が起きて何千人が死んでも別に悲壮感はないし、父親が死んだかも知れなくても「大丈夫だといいねえ?」なのだ。「何かをそのまま抽出する」+「宮崎駿の脳内世界」という二回ひねりが加えられた映画が『崖の上のポニョ』なのである。こんなの、観客には理解出来ないよなあ。。。

かように狂った映画ではあるのだが、絵の魅力と言う点では宮崎駿の作品の中でも屈指なのではないかと思う。波の上をひた走るポニョのシーンは圧巻だったし、洪水後の世界、船の上から透明な水の下を覗き込む下りの美しさは素晴らしかった(宮崎映画って「水の下の世界を覗き込む美しさ」がよく描かれている気がする。ラピュタしかり、千と千尋しかり)。ウェルメイドなエンタテインメントとして成立することを拒否し、独特の作法と最高峰のイマジネーションで観客を良くも悪くも圧倒する大作、やはりこれはこれで宮崎駿にしか作れない凄い作品だなと思いました。

Written by viennahorn

1月 1st, 2010 at 8:39 pm

Posted in 映画感想